病室で
病室で
佐藤稔(山形市)
子どもが産まれ初めて医師がした施術は、「蘇生」だった。二人には、生まれつき重度の障害があり、医療的なケアがなければ、生きて行くことは出来なかった。
長男は、在宅の生活が難しく、2歳から、県のこども医療療育センターに入所している。次男も全介助だが、地域の学校に特別支援学級を作ってもらい、在宅でがんばっている。
同センターは、今、面会制限・禁止となっているため、長男とは一ヶ月以上会っていない。衛生用品の無駄な消費を抑制しながら、同室、同センターの子どもたちにウイルスを持ち込まないよう、私は面会を自粛していくだろう。
学校もなくなった長男は、どんな思いでベッドに横になっているんだろう。
「ベッドサイドの先生来ないな。最近、パパもママも来なくなったな、看護師さんもあまりかまってくれないし。」だろうか。





皆さんは、今、どう生きていますか。

コロナウイルスの席巻で、マスクや消毒液を買い占める人が現れた。なんでそうなるんだろう。家には沢山の常備があり困っているわけではないが、繰り返されるそのニュースが、とても悔しく、とても悲しく、涙が溢れた。医療的なケアのため、医療機関等はもとより、在宅の医ケア児を抱える家族でも、マスク、消毒液、手袋など衛生用品の常備が必須だ。それが市場から消えることは、子どもや家族の命に直結する。

私達、多くの医療的ケア児を抱える家族は、訪問看護ステーションや介護事業所の活動に助けられて、なんとか生きている。私の長男、次男も毎日のように、訪問看護ステーションの看護師さん、介護事業所のヘルパーさん、児童発達支援・放課後等デイサービスの指導員の皆さんから助けられてきた。私を始め医ケア児家族のみんなは、その活動に、深い感謝を抱き生きている。

医療的ケア児というのは、日常的に胃ろうやたんの吸引等のケアが必要な子どものこと。
私の家族は、夫婦で、双子を自宅で24時間見守っていた。朝の5時まで、長男の酸素濃度が上がらず、パルスオキシメーター(動脈酸素飽和度 (SpO2) をリアルタイムでモニターするための医療機器)の警告音の中で、涙を流しながら何度も吸引し、数時間仮眠しただけの疲れ切った身体で仕事に行った日が何度もあった。

双子の上には、姉が二人いて、中学生、小学校に上がる時期だった。私は、母の介護も重なった。実家近くの介護事業所が献身的に一人暮らしの母の面倒をみてくれた。その母も2年前に亡くなった。病院で冷たくなった母の亡骸を見て、肩の荷が少し降りたと思った。

千葉に住む兄は、自宅待機の必要から帰省できず、山形県内での発生の時期と重なったこともあり、この4月予定していた三回忌はやってあげることができなかった。
 

18トリソミー山形写真展より


今、自宅から一歩も出ることのできない在宅の医療的ケア児、18トリソミーのママ達や、前線で頑張りサービスの維持を試みる看護師の皆さんの姿を思い浮かべると、連休だからといって休んではいられなかった。
訪問看護ステーションでクラスターが発生し、活動が停止すると私達の生活は窮地に追い込まれる。また、訪問の際、二次感染、三次感染でウイルスが医療的ケア児の家庭に入り込んだ場合には、致命的な結果につながってしまう。医療的ケア機関でのクラスター発生や二次感染、三次感染は地域で絶対に起こしてはならない。
そんな思いから、この「つなぐための盾」を作ろうと思った。

急遽立ち上げたこの企画。しかし、山形には心優しい「奴」が多くいる。

「仕事なくなって、給料もどうなるかわからないけど、木材加工やってやるよ。」
「材料提供してもらえるよう電話してやる。」
「現場でもう使わない、丸ノコとサンダー使っていいぞ。」
「映画館も開いてないし、イベント全部なくなったから手伝ってやる。」

そう言って、次々とみんなが集まってくれた。
そして、この企画自体が、「つながるための盾」そのものになった。このつながりが小さなウイルスの蔓延で閉塞的になってしまった地域や社会、人の心に大切なメッセージを投げかけ、健全な人間関係を守ってくれる。

「HUG shield」という名前は、パキスタンの山奥で、縫製指導、アパレル産業育成のプロジェクトに参画している大切な友人の発案。「逃げ恥」みたいで少し恥ずかしいけど、今は互いに強く抱きしめるほど、心を寄せ合うべき時である。だから、これでいいかってことになった。

「新しい生活様式」って何だろう。人と接触せずに、自宅にいることなのだろうか、きっと違う。
「HUG shield(つながるための盾)」を一つでも多く届けようと、今日も仲間がマスクをして、言葉少なに作業をしてくれる。

ありがとう。